皮膚と鍼について

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<目次>


3.境界



精神分析家で医師のD.アンジューは著書「皮膚-自我」の中で、

“心的なあらゆる活動は、生物学的な機能に基礎をおいている。
皮膚-自我もその基礎は皮膚の様々な機能にある”

と述べています。

皮膚への鍼施術を受けると、「どこからどこまでが自分なのか」という境界意識が賦活してきます。
身体の面では筋緊張、動き方や姿勢、身体の距離感(間合い)が変化していきますし、末梢の循環や「自分ではないモノ」である老廃物の排泄が活性化されたりします。

心の面では他者(対象)との精神的な距離感や、それが自分にとって必要(重要)かどうかなど、感じ方や考え方が変化していきます。
免疫機能は”自己・非自己の識別”ですが、このような精神的な境界意識は「心の免疫」と考えています。
(皮膚表面は実際に免疫機能の最前線です)

そのような境界意識は生まれもった枠組みを基に、胎内での直観的な触れ合い、出生後は保護者との直接的な温かい触れ合いの中で成長していきます。
そのような保護された環境で、”自分が守られていること”や”接触の心地よさ”等を皮膚感覚を通して自然に意識していきます。
(皮膚自体が保護器官であり感覚器官です)

そして乳幼児期の直接的な接触体験が土台となり、その後の他者との間接的な触れ合い方(社会での接し方)が形成されていきます。
保護者との温かい接触体験は自分を守るための境界となり、健全な自他境界は健康的に生きていくために必要な能力です。
必ずしも「親=保護者」ではなく、実の親との間でなくても信頼できる人間関係から学ぶことができます。
(死別・離婚などにより親がいない場合より、親はいても温かく接触し世話してくれる保護者がいないケースの方が学べません)

東洋医学では、外部(外界)から内部を衛(まもる)ために体表を巡っている気を「衛気」(えき・えいき)と名づけています。
そして体表への鍼治療が古くから行われていたことも東洋医学の書物に記されています。
外界から心身を守るために、体表を境界として重要視していたことが伺われます。


健康的に生きていくために必要な自他境界(の能力)は、特に乳幼児期に直接的な温かい触れ合いが極端に少なかったり、不快な(負の)接触が多いと発達を阻害されます。
乳幼児は温かい接触を求めて環境を変えることや不快な接触から逃げることができないので、はじめは不快な接触に抵抗して泣き叫んでも、最終的には接触面である体表(皮膚感覚)から意識を後退させるしかありません。
緊張によって境界を閉鎖することで内側を守ろうとします。
それは緊急避難ですが、その状態が続くと緊張や分離の感覚が習慣化されます。

乳幼児期を過ぎても親は子供の境界意識に大きな影響を与えます。
親が慢性的に緊張や不安を抱えていると子供との適切な境界を意識(設定)できません。
そして自身の緊張や不安から目を逸らしたい場合、子供が自分(親)と同じかそれ以上の緊張状態でなければ許せません。
そのため親が子供の境界を侵害することで子供の自立(境界意識の健全な発達)を阻み、いつまでも子供を支配しようとします。

子供のありのままを受け入れることなく常に強制・強要・否定で接したり、一貫性なくその時の気分で子どもに怒ることで(親は叱っているつもり)、子供は落ち着いたり安心できる時と場が削られていきます。
特に転居・転校や(親の)離婚、死別などは親(大人)だけでなく子供にも強いストレスとなりますが、その際に子供への適切なケアがなされず、更に親が自分のストレスを子供にぶつけると子供のストレスは凄まじいものになります。

不安定な家庭環境(機能不全家族)の中で子供は常に緊張し、自分自身(境界)を見失い、安心感や自信が低下していきます。
心身の現状認識が部分的・時間的に妨げられたり歪んだりして、"今ここで自分がどのように感じているか"に気づくことができなくなります。

後天的な習慣化や条件付けは常に行われています。
成長してからの精神的ショックや持続的なストレス(いじめや様々なハラスメント)もその程度に応じて緊張となって影響を及ぼします。
しかし心身の基本的な仕組みが出来上がる段階(乳幼児期)や、逃げ場のない子供時代に親との間で培われた緊張の習慣は根強いものとなりやすいです。
特に親子関係に問題があったことを自覚していない場合、より強固なものとなって組み込まれて(刷り込まれて)います。


そのような緊張の習慣は、身体が成長しても、物理的に親から離れても(離れることが必要な場合は多いですが)、なかなか抜けません。
緊張状態は解除されない限り持続して、習慣の根強さに応じて同じようなパターンを繰り返してしまいます。

社会の中で境界(自分の枠組み)を適切に設定することができず、他者との関係でストレスを溜め込みやすくなります。
肯定感が低く、温かい(快い)触れ合いの感覚を関係性の基準にできないため、本来自分自身にとって心地よい環境や関係性に背を向けて自分から不快(不適切)な方へと近づいてしまいます。

攻撃的な人間のターゲットとなりやすいですし、相手(対象)を識別したり理解する過程を飛ばして一体化しようとするなど、盲信、依存、中毒などの問題も生じやすいです。
ストレスが容易に「自分」という境界を侵して立ち直りが遅くなり、慢性的に緊張しているので疲れやすかったり、肩こりや頭痛、腹痛に悩まされたり、不安感や否定的な感じ方・考え方に支配されます。

東洋医学的には身体と心を守るための衛気が機能不全に陥って治癒力が低下している状態と言えます。
そして神経系、免疫系、内分泌系などを通じて、その人の弱い所から大きな問題となって表面化してきます。

しかし心身に問題が現れても、内部の治癒力を信頼すること、安静にして治るのを待つこと、自然な治癒反応に身を委ねること、などができません
不安からあれこれ思い悩んで消耗したり、無理して突っ走ったり、安易にその場しのぎの対症療法(薬や強い刺激治療)を繰り返して治癒反応を止めるなど治癒力に干渉して妨げてしまいます。
それはまるで、かつて自分が親からされたことを自身に対して再現するかのようであり、自傷行為のようです。

たとえ強い薬や刺激で問題が改善したように感じても、それは一時的に問題を飛ばしたに過ぎません。
問題を無理に押さえ込み続けることで、ストレスへの防御力や疲れからの回復力は更に低下していきます。
結局、自分で自身を攻撃し続けていることになります。

自分が親から保護されなかった(受け入れられなかった)という想い(記憶)を認めるのはとても困難な作業です。
心身の症状に悩まされても、その根本の問題と向き合うことは辛いので目を逸らそうとします。
たとえば、自分が取り組むべき問題に取り組まず、自分ではどうしようもない外の問題をどうにかしようと心配してあがき続けたり、・何か(誰か)に自分の存在を認めてもらおう(期待に応えよう)と無茶な行動を続けたりします。
そうすることでそれまでの過大な自己イメージが崩れるのを恐れて、現実より強く大きな自己イメージにしがみつこうとします。

境界の問題は社会的地位や職業、経済力などとは関係がなく、それらが強い場合や宗教が絡んでいる場合は問題が表面化し難い(自覚しにくい)です。
根源的な安心感や肯定感は緊張で覆われ、切り離された分離の感覚(孤独感・不安感)が強まり、治癒の方向を見失っていきます。

親に受け入れられなかったことは親の側の問題であって、自分(子供)の問題ではありません。
親の問題ではなく、自分自身の問題に取り組まなければ取り巻く困難は変わりません。

運命を嘆いていても、親を恨んでいたり怒っていても、愛されなかったことを恥ずかしがっていても、相手の変化を期待したり相手を無理に変えようとしても、親と同じように自分より弱い立場の他者を攻撃することで目をそらしていても、問題は改善されません。
いつかどこかで方向を転換する必要が生じてきます。

きっかけとしては自分の限界や無力さを強く感じた時、病気になり死を強く意識した時、自分の子供が生まれた時などがあります。
そして自分自身の緊張(のパターン)を解除していくことに対して誠実に真剣に取り組んでいくことになります。
体表の鍼治療はそういった方へのサポートとなります。

慢性的に緊張している場合、心身の声を拒絶すること、無視することなどが根強い習慣となっています。
それは自他境界である体表(皮膚)への自然な意識が部分的に閉ざされている状態です。
その状態を解き、境界の機能を発達・成熟させていくためには、境界を意識する(体表状態を対象として意識する)トレーニングが必要です。

幼少時に保護者からしてもらうことである、「自分がどう感じているか」に気づいてもらうこと、「ありのままの自分を受け入れられること」などを、自分で自身に対して行っていくことになります。
体表の鍼治療は境界(体表)に耳を傾けること、自分自身への静かな観察を学ぶことになります。

身体境界である体表、中でもツボは緊張状態(分離の感覚)と密接に結びついていますから直接的なアプローチです。
そして施術の効果は自分で再現できるようになっていきます。

鍼施術によって生じる心身の変化に対して注意深い観察を続けていくことで、緊張が識別され、対象化されます。
そしてそれまで意識できなかった(無視していた)心身の現状が認識できるようになり、境界の再編・再構成が始まります。

そのプロセスで自他境界が現実と異なっていたり、不適切に設定していたこと等に気づいていきます。
積み重なっているストレスや疲れ、抑圧していた感情や記憶、身体に余分な力を入れ続けていることなどを認識し、自分自身への理解が深まります。

一時的な不快感や不安感を伴なうこともありますし、周囲との関係性において傷つきやすくなったり軋轢が生じることもあります。
また、それまでできていたことが一時的にできなくなったりすることもあります。

しかし、それらは治癒へつながるプロセスです。
負のパターンを再び繰り返さないために、よりよい方法を模索している段階で生じます。

外から見ると退化と見えても、次のステップに進むためのサナギの状態と言えます。
それまでの枠組みが再編されていくのに伴なって、変動は徐々に収まっていきます。
そして人間関係や物事の感じ方・考え方、身体の緊張やバランスなどが以前より無理のないものへ落ち着いていきます。

問題の深刻さによっては途方もない時間がかかるかも知れませんが、誠実に取り組めば着実にプロセスは進んでいきます。
緊張が解けていくのに伴なって、心身の防衛システム(境界)や問題を処理する仕組み(システム)の綻びは補修、もしくは再編されていきます。

特に注意すべき点として、再編の途中で「自分は特別な体験をした特別な人間だ」という想いが生じることがあります。
それも過程のひとつですが、その想いにしがみついて問題をこじらせるケースは多いです。
たとえば他者の問題に不用意に干渉・介入しようとしたりします。
しかし、健全な心身の発達が子供の頃で止まり、親と同じ習慣が染み付いている(抜けきっていない)場合、他者を助けようとしてもその関わり方は親と同じとなります。
他者よりもまず自分自身を静かに見守り、育てる(健全な心身の発達を待つ)しかありません。


体表の鍼治療における治癒プロセス(自他境界の再編プロセス)の内容は人によって様々ですが、その段階にはある程度共通するパターンを見ることができます。
それは文化人類学者であるファン・ヘネップやV・ターナーが提唱する通過儀礼の過程(分離期-過渡期-統合期)と似ていると思われます。

現代の日本では社会全体での通過儀礼はほとんど失われており、曖昧な状態や緊張状態が続くことがあります。
体表の鍼治療はある種の通過儀礼となり、そういった過程(分離期-過渡期-統合期)を経て自他境界が再編されていきます。

体表部分(の状態)と連なる記憶(自己イメージ)と同一化して、体表を対象として意識できなくなっている緊張状態から、体表に注意を向けてそれを識別(対象化)し、それから抜け出していく(抜け落ちていく)過程は、ある種の脱皮とも言えます。

蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

ブッダのことば(スッタニパータ) 中村元訳より

また、そのような境界再編のプロセスは旅とも似ています。
普段生活している場所とは異なる環境を旅すると、皮膚表面の状態も大きく変化します。

そして通常より警戒しますし、逆に心をひらき状況に身を委ねることになります。
周囲が自分自身を見る目も日常とは異なります。

それは「体表-境界」に対して普段より意識的(非日常)になることを意味します。
体表への鍼施術は直接的に皮膚表面を変化させることで旅と似た状態となり、物事を何か新鮮に感じることがあります。
そういった非日常のよりよい感覚(視点)はしばらくすると元に戻ります(消えます)が、完全に元通りになるわけではありません。

意識できなくても自分の中の何かが少し変化していますし、忘れていてもどこか記憶に残っています。
それは種となって、やがて日常の中に点として現れて、次第に点が増えてつながっていきます。

体表を巡ることは自分自身を旅することになります。
慢性的な緊張の源流を辿る旅です。
そして多くの場合、旅は人を成熟させてくれます。




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“犀の角のようにただ独り歩め”

  ブッダのことば(スッタニパータ) 中村元訳より

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