皮膚と鍼について

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<目次>


6.中心


主に体表(目耳鼻口含めて)で感じた刺激と反応の情報を基に、対象(世界).が映し出されます。
遠く離れたものを遠く離れた場所で感じているわけではなく、そのように情報を処理しているに過ぎません。
そして、「自分」もまた映し出されたイメージです。
そのため体表の変化は世界と自分の(感じ方の)変化となります。

何か大きなショックがあると、もしくはストレス状態が長く続くと、緊張が生じます。
それは境界である体表(皮膚感覚)の一時的・部分的な閉鎖です。
緊張していると、そこから新たな情報が入ってきません。
そこでは緊張した過去の(未処理の)情報が繰り返されて、身体と心を特定の刺激-反応パターン(ループ)に閉じ込めます。
分離の感覚と対立が生じて本来の安心感や肯定感が覆われます。

現状認識が部分的に障害され、その分の心身の偏りが回復しません。
身体イメージが歪んだままだと、筋緊張が慢性化して痛みが生じたり疲れやすくなります。
また、感じ方・考え方が歪んだままだと、不安感や劣等感、自己否定感情が強まりエネルギーを消耗します。
緊張(境界の閉鎖)が固定化すると、治癒力が妨げられます。

しかし閉鎖した体表部分(緊張)は自己イメージと結びつき、対象として意識することができなくなっています。
(本来、自己イメージも対象ですが、そのように認識できないイメージが緊張となっています)
対象として意識できないため、問題が現れてきても根本の緊張に対してアプローチすることができません。


緊張とは境界上(体表)で虚実(偏り)を固定している状態です。
その状態を維持するために境界(のポイント)へ過剰に注意(エネルギー)を注いでいます。
その場合、境界と中心の関係では、
「境界(の意識)が実で中心(の意識)が虚」
となっています。
その状態から脱して、中心の虚が実していくことがここでの鍼治療の目的です。
(境界ポイントへの固定された注意を一時的に麻痺させても、強制的に別の境界ポイントへ切り替えても、根本的な問題解消にはなりません)

中心は文字通り、”心の中”です。
東洋医学で心(臓)は「君主の官」であり 、「神明これより出づ(素問:霊蘭秘典論)」 と書かれています。
そして心は小腸とともに君主の火(君火)が配当されています。

小腸は消化吸収の要であり、東洋医学における位置では重心です。
動きや姿勢の中心であり、丹田・肚です。
臍周囲の動気は「腎間動気(陽気)」と呼ばれ、「生気の原、十二経の根本、五臓六腑の本、呼吸の門、三焦の原、守邪の神(難経8難)」などと言われ重視されています。

君主の火(君火)が「絶対」「無相」「根源」ならば、「相対」は「相を宰どる」ため宰相の火(相火)と呼ばれています。
相火は「名前はあるけど形はない(難経25難)」とされ、相火の身体における機能は三焦(さんしょう)、精神・感情における機能は心包(しんぽう)と呼ばれています。
三焦は”外府”(難経38難)とも呼ばれます。
心包は心の機能を代行し、心を包み胸に位置するとされてます。(素問:霊蘭秘典論「膻中は臣使の官。喜樂これより出づ」)

「境界が実で中心が虚」の状態は、相火が乱れて君火を遮った状態であり、宰相が君主から国を乗っ取った状態です。
相火は「火」であり、熱(エネルギー)の乱れです。
宰相が君主の下で働くことで、国をよく治めることができます。

明確に認識できない(意識の境界領域の)鍼刺激によって体表のツボが開く(反応する)と、閉鎖状態である固定化(緊張)が外れます。
そして適応のための反応が再開・活性化して心身の偏りが解消していきます。
生じた変化は習慣(パターン・癖)の根強さに応じて元の状態に戻されていきます。
しかし、続けていくことで少しずつ固定された心身のパターンから抜け出していきます。

また、そのような鍼の効果は次第に自分で再現できるようになっていきます。
体表状態(境界)を意識する能力(識別力)が高まり、特定の体表部分(の緊張)と同一化していた自己イメージの対象化ができるようになっていきます。
それまで”絶対”と思っていた、記憶から生じる”自分”を、対象との関係に基づいた”相対的(皮相的)な自己イメージ”と認識が変化していきます。

そうした体験(観点の変化)を積み重ねていくことで、人によって程度の差はあれど注意の焦点が中心へ移行していきます。
体表を対象化(観察)しているそのもの(中心)へと注意が向かうことで、体表の緊張(固定化)が外れやすくなります。
そして鍼を受けなくても緊張に気づいて解消する能力が高まり、偏りから回復するようになっていきます。


中心は常にあります。
余分な力みが抜けることで重心が現れ、余分な想念が鎮まることで中心が顕れます。
「ああ、そう(相)か」「そう(相)だったのか」と気づくこと、相を相として観ていくことで相火の乱れが鎮まります。
そして、”想”から”相”が抜けることで、”心”(君主の火)が残ります。
それは五志の一つである「喜」とは異なり、相対的でない安心感、自律性、自発性などの源です。
東洋医学の先人たちは本当にうまく言葉を使っていると思います。




治癒力を求めて身体の辺境である体表へ旅に出ると、様々な発見をします。
それまで中心と思っていたことが境界だったと知ることになります。
そして境界の地では、感じるものと感じられるものが一つです。
旅に出た理由である「扉」です。

体表の鍼治療は境界から中心へ 表層から深遠へ、根源を辿る旅です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

             

Let's go on a journey to your border area!
I wish you bon voyage.


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“明確な意識に支えられた巡礼者にとって、巡礼とはコミュニタスを体験する機会であるとともに、治癒と再生の源であるコミュニタスの根源へ到る旅でもあるといえよう。”

  ヴィクター・ターナー 「象徴と社会」より

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